努力はしない
私は「努力」「忍耐」「根性」、このワードが苦手です。
良い悪いとかではなく、捉え方のお話で。
「努力」とはするものではない、というのが私の持論です。
結果的に他人から見たら「努力したんですね」とういうことだと思うのです。
やり続けることができる事って、好きだからやっている事だと思うのです。
好きだからやり続けている事が、結果的に他人から見たら「努力」に見えるのだと思います。
たとえその一部に苦手な事柄が含まれていたとしても、やっている当人は好きでやっているのだから「努力」でも何でもなかったりします。
子供の頃は家でも学校でも「とにかく努力して、その積み重ねがないとできるようにはなりません」とかなんとか、とにかく耐え忍んで根性見せろ的なことも言われていたように思います。それは確かにやり続けることでできるようになる、というのはごもっともなのですが、耐え忍んで根性でやり続けるってツラ過ぎる。と私は思う…。
なので、私は勝手に捉え方を変えています。
「やりたいことをやり続けていれば、できなかったことができるようになる」
こっちの方がしっくりきます。
最初から何でもできる人なんて、どこかにはいるかも知れないけどほとんどいないと思う。
できないんだけど、やりたいからできるようになりたくて、がんばる。
だって、やらないとできるようにはならないから。
今、人物の絵をなるべく毎日描いています。
ヘタクソ過ぎて、イメージしたものが全然描けなくて悔しくて泣きそうになることもありますが、描けなくても、とりあえず描くようにしています。
どんなことも同じだと思うけれど、私は絵はスポーツと同じだと思っています。
描けば描くほど技術と感覚が身について描けるようになるけれど、描かないで長い時間経つと、その感覚をどんどん忘れていってしまう。
ただ、やった分だけ自分の中に蓄積されたものはあって、また描き出すとだんだんその感覚を思い出してくる。
感覚を思い出すのに費やした時間、描き続ける方に使えてたら、今よりもっと描けるようになっていたのにな、とも思います(^^;
こうやって毎日がんばって絵を描くことを、私は「努力している」と思ってやっていません。
やりたくてやっている事に、「努力」も「忍耐」も「根性」もいらない。
そんなワードがなくても続いていくんだと思っています。
現在、求職中の身なのですが、先日仕事探しで「接客が苦手なのでそういうのが一切ない仕事を探しています」と言ったら「苦手を克服する努力も必要ですよ。ツラいことも努力の積み重ねで克服することができます。先日引退したイチロー選手だって・・・」と長々とお説教されました・・・。
「ツラいことができるようになっても、ツラいことには変わりないと思う」とか「得意なことを優先的に選ぶのは自然なことだと思うのだけど、苦手なことを敢えて優先する方が不自然じゃないか?マゾじゃないからな、私は」とか「私はできないとは言ってない、やりたくないんです」と心の中で思いながら聞き流しました。
そんなことがあったので、「努力」「忍耐」「根性」私はやっぱり苦手です・・・と思ったお話でした(^^;
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