昨日の朝のできごと
人が「イヤだな」と感じることをする人としない人って、
いったい何が違うんだろう・・・。
と、少々面倒くさいことを、昨日考えていました(^^;
なぜかというと・・・、
昨日の朝、いつもの通勤電車にすんでのところで間に合わず、
誰もいなくなったホームに並んでいたのですが、
しばらくすると、その列から少し外れた所に若い女性が・・・。
もうイヤな予感しかしません!(笑)
予感的中、電車が停車するタイミングでその女性は、先頭にいた私の前にスッと入り
一番乗りで電車に乗り込んでいきました。
私はイヤな気分になります。
そこで、なぜあの女性はあんなことをしたのか、なぜ私はイヤな気分になったのか、
そして、なぜ私はイヤならその女性に一言言わなかったのか。
電車の中でヒマなので考えます(笑)ほんと、ヒマ人ですね。
私はどんなに急いでいたとしても、あの女性のように横入りしたりはしません。
大きく理由は2つ。
①自分が同じことされたらイヤだと思うから
②気持ちが荒んできそうだから
そうして、いろいろクドクド考えていると、行き着いた先は
「自分を大事にできているか」ということでした。
大雑把に言うと、
「自分がしていいことは、自分以外の人もしていいこと」だから。
自分がそれをするということは、他の誰かが同じことをしてもいいってことだよね?
ということ。
自分だけ特別にやっていいことなんて存在しない。
自分は好き勝手やりたい放題やるけど、自分以外の人はやっちゃいけないんだよ!
なんてただのわがままでしょ?
そこで上の理由①です。
自分がされたくないことは人にしない。
そうやって考えていくと、
自分の言動って結局自分に向かってやってることになるのかなぁ?と思います。
そこで理由②です(^^;
やっぱりそういうことを続けていると、気持ちは荒んでくるんじゃないかな、と思います。
自分を大事にできない=他人を大事にできない、
他人にひどいことしてOK=自分にひどいことしてOK、
自分をそんな「ひどいことしてOK」な存在だなんて思いたくない、と私は思う。
でも、結局「並んでるから横入りしないで」って言えなかった私もまた
私自身をイヤな気持ちにさせたのだと思うと、
結果だけ考えるとあの女性と同じ状態なのだと思った。
すべての行き着くところ、
「自分を大事にできているか」という芯の部分につながります。
そこに誰かの言動は関係なく、その芯の部分こそが生きる上で一番大切なことかなぁ、
と最近思います。
だから、前回も書いた『本当のやさしさ』って“他人のためだけ”に何ができるかって
ことじゃなくて、
結局自分のことを大事にできるからこそ、他人のために何かできるのだと思う。
あー、なんか真面目だ(笑)
いっつもこんな事考えてるワケじゃないけど、
時々こういうことクドクド考えるのが結構楽しい・・・(^^;
0コメント