別もの
つらい・しんどい・悲しいなど、その時々に感じる感情というのは他の誰かとは比べようがないものだ。その感情の大きい・小さいは過去の自分が経験したものとしか比べられない、と私は思う。
他人の痛みや悲しみを理解できる人はいない。
理解しようと寄り添うことはできても、完全にわかることなど不可能だ。
最近ふと「なんとなく堪えるな」と思ったのは、自分が感じた感情を「たいしたことない」と言われたときだ。
例えば、今私が感じたつらさやしんどさを「もっと大変なことはたくさんある」「世界にはもっと大変な人がいっぱいいる」などという人が稀にいるが、「そうですね、私もそう思います」としか言いようがない・・・。
自分より大変な人は大勢いるだろうし、悲しい思いをしている人だっているだろう。 だからと言って、「自分は幸せな方だ」「贅沢言っちゃいけない、我慢しよう」と言って、今感じているつらさや悲しみは消えないし、そもそもそういうことではない・・・。
自分にとっては些細なことでも、他人にとっては耐え難かったり、その逆もある。
「たいしたこと」かそうでないか判断できるのは、誰しも自分自身に対してだけなのだと思う。
比べられるとしたら、それは自分が過去に経験した感情しかないのだから。
だから、「こんなことで弱音吐いていたらいけない」「みんなと違って私は弱くてダメだ」などと思わずに、「今、私はつらいんだな。このままでいるのはしんどい、さてどうしようか?」とその時々の感情は素直に受け止めたうえで、他の誰かと比較することなく乗り越えていけばそれでいいのだと思う。
もう随分前の日記ですが、こちらも似たような内容なのでよかったらどうぞ。
0コメント