なぜか正解できない


正解も不正解もべつにないのだけど、「あー、違ったんだな」ということが多いです(^^;


『相手の立場に立って物事を考える』というのは大切なことです。

が、それがうまくいくのって「不特定多数やよく知らない人」が相手だった場合にすぎないのでは、と私は思う。

あくまで私の場合・・・というお話です。


よく知らない相手を想像するって、情報量が少ないので限界がある。だからこそ「もし自分だったらどうしてほしいだろう」が成立する。

もし相手の望むことと、自分が予想したことに相違があっても、直接明確な反応が返ってくることがないからだろうと思う。

それが「よく知る親しい相手」をピンポイントで、ということになると情報量が多すぎて「もし自分だったら」が通用しない。「あの人だったらこういうときこうして欲しいと思うのでは?でも、もし違ってたらすごく迷惑になるかも」とか「もし私があの人の立場だったらこうしてほしいと思うけど、違うかもしれない」などととんでもなく悩みます。

悩み過ぎて答えが出せないときは、「もし自分だったらこうしてほしい」ことを選んでしまうことも多いのですが、それがどうも違っていることが多いような・・・。


私はいろんなことが世間(どこを中心に世間と呼ぶのかはわかりません)とはズレている自覚はあります。

集団が苦手で一人でいることが好きなので、人から過度に干渉されたり押し付けられたり、期待されたりすることが苦手です。(善意の押し付けがこの世の何よりも嫌い)

多くの人が好むものを知らないし、知ってもよくわからないことが多い。(基本的に否定も肯定もしませんが「???」ってなることはある)

好みがわりとニッチなので、本当に欲しいものは売っていないことが多い。たまに「これ!」っていうのを見つけても、そういうものって生産量が極端に少ないので、他の同類に持っていかれることが常・・・。もちろん再入荷なんて有り得ないので売り切れた時点で終了(;;)流行とは無縁の好みなので、次に同等のものが現れる確率が低すぎて悲しい・・・。

対処法として「自分で作る」か「好きとか嫌いとかの感情がわかないくらいシンプルなものを選ぶ」のだいたい二択です。自分で作るのは難しいことも多いので、大抵シンプルなものでしのぐことに。味気ないけどシンプルなものは考える余地がないのでラクだし、絶対にハズさないので今では強い味方!


そんななので、昔から私が好んで選んだものは「センスが悪い」と言われることが多く、自分以外の人がかかわる場合は自分の好みで選択しないのがマイルールです。もちろん、親しい相手への贈り物は全力で相手のことを考えて選びますが、わからないときは決して自分の好みは入れず無難なものを選ぶと決めています。

そんな私が、「もし自分だったらこうしてほしい」を相手にすると・・・なワケです(^^;

相手の立場に立って成立する人もいれば、立っても感覚違い過ぎて意味ない人もいる。(私です)

だってズレてるから・・・。

だから「世間的に」がわからないんだよ~!

「自分的に」が「世間的に」とズレ過ぎてるんだから~!と時々悲しくなるときがあるという、他人にとってはどうでもいい話・・・。


お互いのことは基本的にわからないのだから、気遣いをもって考えてやっていくしかないのだけど難しいことも多いので、ものすごく悩んで考えた結果、毎回スベってるってだけの話です。

お粗末さまでした(^^;

facomi to usachan

Tomoko Terahara / NANANOKO_pianeta Illustration