違う世界の住人たち



以前も『わかろうとすること』というタイトルで少し似たようなことを書きましたが・・・。


たくさんの人と接していると、本当は心のどこかで優しくされたい、大事に扱ってほしいという気持ちがあるから、 こんなに虚しい気持ちになったりするんだろうな、とときどき思う。

でも、もっと別の部分に目を向けてみると、私を大切にしてくれる人は他にいるし、何よりも自分で自分に優しくすることも大事なんだな、と改めて思ったりする。


私は大切にされていい人で、それは世界中の人みんな同じ。それぞれが大切にされていい人たちだ。 

粗末にされていい人なんてこの世には存在しない。

そんな扱いをする人がいたら、それはもう違う世界の住人なんだと思うことにしている。


真摯に接していても、相手に変に受け取られて嫌われたりすることもある。

素直に受け取ってくれる人もたくさんいるけれど、自分の都合のいいように解釈する人はとても多い。それは、私にはどうにもできないことだから仕方がない。

伝わらないのは言葉が通じないのと同じことだ。

それでも伝えたい人か、「もういいや」となるように任せるのか、それは自分自身が決めること。

最初から解ろうとする気のない人にいくら伝えても、伝わらない。

お互いにそれぞれが別の世界の住人で、言葉も文化(価値観)も違う。

でも、似ていたり時々通じ合える人もいる。

そういう関係って、お互いに相手を理解したいとか、理解しようとしているからできるのだと思う。

片方がいくら理解したいと思っても、一方通行だと叶わない。

自分と相手のおかれている状況は常に違うし、感じ方・捉え方も人それぞれで、本当の気持ちなんてその人以外、実際には誰にもわからない。

でも、もし自分が相手の立場だったらどう感じるだろう、と想像することはできる。


人は基本的には主観でしかわからない。

ただの『主観』と、『相手の話を聞き、想像して、それから主観で考えてみる』。この二つは結果として大きく違うと思う。そして、その『相手の話を聞き、想像して、それから主観で考えてみる』ことのできない人は本当に多い。

日々「あぁ、伝わらない・・・」と思うことは多いし、そういう私自身も伝える術が拙かったり、逆に受け取れていないことがきっと多いのだと思う。

それでも、私は自分を大事にしたいしされたいし、大切な家族や友人のことは大事にしたいし、理解したいと思う。


人は孤独な生き物だと思うけれど、それと同じくらい思い合える生き物だと思う。

一人だからこそできることもあるし、一人では味気なかったりできなかったりすることも、どちらもたくさんある。

孤独に心が満たされることもあるし、誰かと思いが通じた時に心が満たされることもある。

結局は両方あるからこそ、感じれる感覚だと思うし、そのコントラストがよりどちらかを強く感じるために必要なことなのだ思う。

どちらの状況にも愛おしさを感じるし、それが生きるということの一部なのだと感じる。



話は変わりますが・・・、

先日から始まったほぼ日の対談が面白いのでおすすめです。

『岡村靖幸×糸井重里 結婚への道《完結編》』

この対談に限らずですが、糸井さんの言葉は度々、私の心に響いてきます。

あぁ、深い。人間って面白いなぁ。。。