一歩の意味と価値



人は『変わりたい』と思って、そう容易く変われるものじゃない。と、私は思う。


思っているよりも多くの時間を必要とする。

それも、決意と行動とが必要で『変わろう!』と決意するだけでもいけない。

けれど、イヤだイヤだと言って結局歩き出さなければ、永遠に変わることはできない。


私は3年前に、今のままの自分で生きていくことに、何の価値も見出せなくなってしまって、

でもこれからも生きていきたいと思ったので、変わることに決めた。

あのとき踏み出した一歩があって、今の私がいる。


あんなに大嫌いだった自分が、今は何と引き換えにもできないほど大切だと思える。

自分という肉体と魂が存在するからこそ、今この瞬間があるのだと思うと、

大切な人もモノもあるけれど、自分にとって何よりも一番大切なのは、

自分自身の他にはない。

それに気付いたとき、ずっと噛み合わなかった歯車がカチッとはまるような感じがして

声を上げて大泣きしたのを今も覚えています。

その時は、気付けたうれしさよりも、自分に申し訳ない気持ちが強かった気がする。

そして、今も現在進行形で変わろうと日々もがいています。


変わるために必要なのは、現状を把握してそれを認めることから始まるのだと思う。

自分は何が出来て何が出来ないのか、何が必要で何が不要なのか、

何が欲しくて何が欲しくないのか。

何度も立ち止まって、自分の望みを聞き、何かを捨てて何かを得る。

ひたすら、それを繰り返す。

それはわかりやすく言うと、自分を知ることなんだと思う。

惨めでどうしようもない自分も、弱くてだらしのない自分も、

子供みたいにわがままに振る舞いたがる自分も、

大嫌いで大嫌いで絶対に認めたくない自分も、

その全部が自分自身なのだと認めること。


いままで知らんぷりしてた、小さくてどうでもいいことも掘り下げていくと、

意外な本心が見え隠れする。

そうしていると、今までたくさんのことを気付かずに見逃していたことを知る。


今は、『私』という自分を相棒のように励ましたり慰めたりしながら毎日生きている。

今、この瞬間何を望んでいるのか毎瞬毎瞬、問いかける。

そして、その願いを自分ができる範囲でなるべく叶えようと努める。

見栄をはることも、卑下することもなく、この瞬間を自分のために精一杯生きる。

そういう生き方をしていきたい、と思う。


それでも、惨めで泣きたくなることもあるし、自分を見失いそうになるときもある。

以前の日記にも書いたけれど、それぞれの人生が自分が主人公の

たった一つの物語だとすると、それすらも私にとって大切な物語の一部なのだと

今は思える。


そして、自分が大切な存在だと思えば思うほど、

自分と同じように存在する自分以外の人たちも、同じように大切な存在なのだと思える。


まとまらなくて、この記事を書くのに10日間かかった。

で、結局それでもまとまらない・・・(^^;

facomi to usachan

Tomoko Terahara / NANANOKO_pianeta Illustration