嫌いの中にある好き



最近なぜか、自分の「嫌い」が崩壊している気がします。

逆に言えば、思ってもみない「好き」に出会っているということ。


私たちには生まれたときから「好き」と「嫌い」という感情があります。

それはごく自然なこと。


理由があるものも、理由なんてないただそう感じるものもある。

でも、その感情は時間の経過とともに無意識に変化していたりします。 

ある日突然、好きだった物・事・人が嫌いに変わったり、その逆も。

じわじわ、じわじわ気がついたら好きになっていたり。

それってとても興味深い・・・。


でも、「好き」や「嫌い」と思っているものでも、 その中にさらに「好き」と「嫌い」があります。

例えば、人。 

「ここが嫌い!」って思っても「でも、この人のここはたまらなく好きなんだよなぁ」って、

好きの方が大きくて結局「好き」に分類される人がいたり。

逆に嫌いの方が大きくて、好きな所もあるんだけど「嫌い」に分類される人もいる。

その境目ってどこなのか、自分でもよくわからなかったりする。


私は、幼いときに初めて飲んだミルクティーが不味すぎたのが原因でミルクティーが嫌いです。

大人になってから、紅茶専門のカフェで再チャレンジしてみましたが、

不味くはなかったけど別段おいしくもなかった。 

でも、ミルクティー味のお菓子(アイスクリームとかアメとか)を食べたら、 

その作られた味はとてもおいしくて大好きだと思った。 

だから、ミルクティーは嫌いだけどミルクティー味は好き。


今では「セーラームーン好き!」とか「タチコマ大好き!」とか言ってますが、 

数年前まではマンガもアニメも大の苦手。というよりは、苦手だと思い込んで毛嫌いしていました。

『功殻機動隊』のアニメの存在を知ったのは20年近く前。(リアルタイムでTV放映していました) 

当時は「アニメってオタクが観るものでしょ?なんか恥ずかしいし絶対ムリ!」って思って

見向きもしなかった・・・。 

そして更にその10年後、初めてちゃんと観たのですが・・・、

もちろんアニメに何の免疫(?)もなかったので、タチコマのしゃべり方とか、

ミニコーナーの「タチコマな日々」とか、もうオタクくさくて拒否反応出まくり!

(当時の私は、オタクの定義が今とはまったく違っていました・・・笑) 

しかし、今や各シリーズ最終話ではもれなく号泣。「タチコマな日々」最高!(笑) 


月日は流れ、マンガやアニメの「嫌い」の中にも「好き」と「嫌い」があることがわかった。 

それってのぞいてみなければわからないこと。

マンガもアニメもミルクティーも。人だって。 

それを少し知ってみようと手を伸ばしてみなければ、ずーっと気づくことはなかったのです。 

なんともったいない。 

思い込みって、最終的に作り出すのも壊すのも自分ですよね。


今はマンガ「神様はじめました」の狐の妖怪・巴衛にはまっています! 

めっちゃかっこいい、とくに野狐時代・・・(^^;

大人気少女マンガのようですが、つい先日までまったく存在すら知りませんでした・・・。

キャラクターもいいですが、なによりストーリーがすごくよく出来ていて王道で面白い!

ハマり過ぎて、全25巻を2回たて続けに読んでしまいました(笑)

以前の私なら、「こんなイケメンに猫耳ついてるようなマンガなんか読めるかっ!」って

読むことはなかったと思います。 

たとえ読んでみて好きと思っても、恥ずかしくて誰にも言えなかったと思う。 

「そういうイメージで見られたくない!」「私、そういうキャラでもないし」みたいな(^^; 

今なら、「自意識過剰か!何のイメージだよ!どんなキャラなんだよ・・・」って

突っ込み入れてしまいますが。 


「好き」「嫌い」という感情に「いい」も「悪い」もないし、統一感もなくていい。 

だって感覚的なものが多くて、私は自分の「好き」「嫌い」を言葉で全部説明できない。

理由なんてどうでもいい。


なんかうまくまとまらないけど、 

「嫌い」に少し目を向けると、実は新たな「好き」が発見できるかも?というお話。

(だと思う・・・笑)

facomi to usachan

Tomoko Terahara / NANANOKO_pianeta Illustration